転がる賽子のように(1)

 人間には運命を覆す加護があるという。
 それが本当なら、多分、僕はどこかでその使い所を間違えたんだろう。


 人生で一番楽しかった時期がいつかって言ったら、ティルスティアルの街の自警団に入ってから一年くらいの間のことになると思う。我ながら短い春だった。
 そんな楽しかった日々にしたって、思い出すのは銃声の響く光景ばかりだ。毎日のように銃撃訓練してたってことだけど。その割にあまり精度が上がった気がしないのは気のせいだろう。
 まあ、その日も、そんな日常の一日だった。
「これで十発。命中率……六割五分ってとこかな」
 訓練場に設置された的には、中心を外れて数発と、端をかすって一発分、穴が空いている。
「……お前って、何ていうかさ」
 隣にいたドゥエルが、ふとつぶやいた。
「……フツー。だよな」
「うるさい!」叫んで、僕は訓練用の銃の撃鉄を戻した。「しょうがないだろ。エルフと比べられたらやってられないよ!」
 ドゥエルはにやにや笑っている。その長い耳が横髪を分けて飛び出している。思いっきり内陸で、湖があるわけでもないこの街では割と珍しい。彼の家族も全員がエルフではないそうだ。
「ま、でも、最初に比べりゃマシになったぜ。それにお前……」
 彼は僕の左手をちらっと見た。
「両手使えるんだろ? それで撃てば、六割五分の二乗でちょっとはマシになるんじゃね?」
「なんだよその計算……。そう簡単に行くわけないだろ。だいたい、しっかり狙ってもこの始末なんだから」
「数撃ちゃ当たるって言うじゃねーか。撃ってみろって」
「面白がってるだけだろ、お前……」
 と、言いつつも、僕はドゥエルの分の銃を借りて、二丁の銃をそれぞれ片手に持った。狙いを付けて、撃鉄を起こし、二つの弾にマナを込め、両手の銃で同時に撃ち出す。
 一、二、三。ずきゅん。
「……ほら見ろ当たらない!」
「イバって言うことじゃねーだろ」
「あー、弾丸ムダにしたじゃないか。教官に怒られ……」
 言いかけて、思わず固まった。
「ん? 教官来た?」
 ドゥエルは小声で言って振り返った。だが、そこにいたのは射撃の教官ではない。
 ――当然ながら僕よりは年上だが、まだ少女と言っても怒られない歳だと思う。が、この人に限っては、どうにもそういう言葉が似合わない。ふわりとした明るい色の髪に、紫に煙る瞳。顔立ちはそっくりだとよく言われる。性格は全く違うのに。
「……どうしてここにいるんですか!?」
「あら、弟の様子を見に来てはいけないの?」
 ファーレンディア・ルールシェンク――不肖の姉は、そう言って、わざとらしくにっこりと笑った。
「……っていうか」僕は恐ろしいことに気がついた。「どこから見てました?」
 姉の笑顔がますます明るくなる。
「中々、恰好よかったわよ。……当たれば」
「うわあああああ!」
 思わず頭を押さえてうずくまった僕と、くすくす笑う姉を見て、ドゥエルは怪訝な顔をした。そういえば、二人は初対面だったはずだ。
「あー……悪い。えーと、この人は僕の姉で……」
「ファーレンディア・ルールシェンクと申します。ファールド様の一番弟子ですわ。いつも弟がお世話になっております」
 姉はそう言うと、ローブの裾をつまんで優雅っぽく礼をした。まあ、さりげなく一番弟子とか言ってる所を除けば、社会的には多分間違ってない態度だ。不幸にもこの人の本性を知っている僕から見ると、あまりにわざとらしくて背筋がぞわぞわするが。
「あ、はあ。ご丁寧に」
 ドゥエルはなんか恐縮してた。しなくていい。
「あのですね、姉上……」
 呆れる思いが、思わず口をつく。
「……あねうえ?」ドゥエルのきょとんとした顔。
「……ああっ!?」
 つい言ってしまった。外で言うと笑われるから気をつけてたのに。再びうずくまる僕を見ると、ドゥエルはにやりと笑って、姉に挨拶を返した。
「あー、オレ、ドゥエル・パリアーっていいます。こいつの同僚です。ファールド様のお弟子さんなんすね、姉上さん」
「もういいだろっ!」
 ああ、またこいつにからかわれる材料が増えた。というか明日には同期全員に広まってる気がする。だからといって口止めするのも、それはそれで恥の上塗りだ。恥ずかしさに任せて、僕は姉に怒鳴り付けた。
「帰って下さい、姉上!」
「あら、言われなくても帰るわよ、もうすぐ。物のついでに来ただけだから」
 そう言いつつ、姉は訓練場を見回した。「それにしても……」その顔が少し真面目になる。
「……二丁拳銃はともかく。随分、派手に演習していますのね。弾代もタダではないでしょうに」
「あー、何か、もーすぐ何かあるかも、らしいっスよ。蛮族でも出るんじゃねーかな」
 ドゥエルが答えた。実際、そういう噂が流れていた。守りの剣のないこの街では、蛮族の侵攻なんて噂はいくらでも出ては消えるものだが、この時期の自警団について言えば、噂まで含めてコントロールされてたんじゃないかと思う。
「ふぅん……」
 姉は、どこか納得していない様子だ。……今思えば、この時この人がこういう態度を見せたのは、単に陰謀のニオイ的な物に対する嗅覚が働いたからだったのだろうが、ドゥエルはこれを違う方に解釈したようだった。
「ま、安心してくださいよ。コイツはオレが守ってやるんで!」
 僕の肩を引きよせて、そう請け合った。
「あのなあ、ドゥエル……」
「……うふふ。よろしくお願いしますわ」
 姉は優雅に(と、姉なら修辞するだろう)踵を返して去っていった。隣のドゥエルがどんな顔をしているかは、ちらりと見る気にもなれなかった。「素敵なお姉さんじゃねーか。いや、姉上さんだっけ?」
「もういいだろ! 訓練に戻るぞ、本当に教官が来る」
「お前が二丁拳銃なんかやるから、弾がもうねーよ?」
「やらせたのはそっちだろ!」
 ドゥエルは間違いなく一番の友人だったが、それなりに人格には問題のある奴だった。普通の悪ガキといえばそれまでだが。意地の悪いマネはするが、底意地は悪くない。その点、姉上とは違う。僕の周りには性格の悪い奴ばっかり集まってくるわけじゃない、多分。ごく近しい人間に地上トップクラスにねじ曲がったのが二人いるだけだ。
 そうそう。その、もう一人のほうはと言えば。
「……ん? あれ」
 そう言って、ドゥエルが指したのは、自警団長の執務室から出てくる、一つの人影だった。
「確か……ファールド様んとこの息子さん、だよな?」
「……ああ」
 そこにいたのは確かに彼。魔術師ファールドの実の息子、リード・シルフェル。
 この時期、こちらは彼のことを知っていても、あちらは僕を知らなかったと思う。知っていれば多分、この後起こった事件で、僕は完全に蚊帳の外に置かれていただろう。
「姉上さんと一緒に来たのかね」
「……さあ」
 そう言えば姉上が『もののついでに来た』とか言っていた。実際何の用だか知らないけれど、用にかこつけてデートしに来たようなものだったんだろう。と、この時は思っていた。
 この時期に二人の仲に気付いていたのは僕ぐらいだと思う。だからって何も言わなかったけど。まあ、普通、姉の恋愛なんて、弟が口を出すようなものでもないだろう。この場合は二人とも普通じゃなかったから何か言っておくべきだったかもしれないが、僕は普通だから仕方がない。
「しっかし、こうして見ると」
 ドゥエルが言う。
「お母さんそっくりだよな、あの人。さすが美人の血っていうか、こう、オーラが」
「気のせいだろ。大体、エルフのお前が言うなよ」
 とは言ったけど、まあ、確かに容姿は悪くないと思う。とりあえず、姉と並んで姉の方が見劣りする程度には。母親似というだけあって多分に女性的ではあるが、その点僕も人の事は言えない。ドゥエルの台詞じゃないが、オーラの少しは出ているかもしれない。ただ、それも母親同様、確信犯だけが持つ黒いオーラの類だと思う。
「あーゆーのがモテるんだろうなー。世の中不公平だぜ。アーニー君だっていい奴なのに」
「……何で僕を引き合いに出すんだよ」
「安心しろよアーニティ。どんなにモテなくても、お前は俺の親友だぜ!」
「はいはい、有難いよ、馬鹿!」
 ……まあ、つまり。こんな感じで結局、いつも通りバカ話をしながら、僕とドゥエルは姉とリードを見送ったわけだ。
 ――今思えば、僕はこの時、既にいくつか見逃していたことになる。もうちょっと頭か勘が働いていれば、ひょっとしたら気付けていたのかもしれないことを。


(続く)