転がる賽子のように(2)

 追討対象が魔女ファールドだと知った時、僕はそれほど驚かなかった。回りに比べれば、程度のことだけれど。彼女にはもともとあまり良い印象を持っていなかった。姉が道を間違えた元凶のようなものだし。
 まあ、追討を計画した側も、僕たちがあまり動揺しないように工夫はしていたんだろう。最初に暴かれたのは、悪事だった。人族の尊厳を傷つけるような、酷い悪事。人を守りたいという意思を持って自警団に入った者なら、決して許せないような。その犯人を知らされた時には、それが誰であろうと、許せる気持ちなんてなくなっていた。
「でも……お前、大丈夫か?」
 出動に備えて準備をしている時、ドゥエルがそう聞いてきた。
「何が」銃身の手入れをしながら、答える。
「……姉上さんはこの事、知らないんだよな?」
「ちょうど、家に戻ってるみたいだ。現場で鉢合わせたりはしないよ」
 この時姉は里帰りしていた。といっても、同じ街の中だけど。この時は有難い偶然だと思っていたが、理由をつけて彼女を家に帰したのは……言うまでもない。
「そういうことじゃなくてさ」
 ドゥエルは心底心配そうな様子だった。こういう所、いい奴だったと思う。
「……後で説明するよ。それしかしょうがない」僕は、支給された蛇紋式銃に、三発の弾丸を装填して、ホルスターに下げた。
 今思えば、出動前に、姉上の心配なんかしてる時点で、二人とも能天気もいいところだったと思う。



 計画は――僕は今もって全体像を把握してるわけじゃないが――いよいよ実行段階に差し掛かっていた。
 実行部隊は、僕たちが所属していた自警団と、キルヒア神殿所属の神官戦士たち。後から知ったのだが、ミラボア正規軍の一部隊も参加していたらしい。よくもまあ手を回したものだ。
 手順としては、まず自警団が、ファールドが近辺の各所に置いていた秘密研究所の捜査に入り、追討の理由になる証拠をできるだけ集める。そして、できるだけ間を置かずに、正規軍の部隊がファールドの自宅を封鎖し、神官戦士団が踏み込み、身柄を確保する――筋を通そうとすればギリギリのラインだったが、今考えても、二重の意味で無茶すぎると思う。一つには道理的な手順として。もう一つには、ファールドの戦闘力から考えて。
 まあ、始めから、計画の中心人物の中で、本気でファールドを倒すつもりでいたのは、キルヒア神殿の神官長くらいだったんじゃないかとは思う。正義感でもなければ、追放するだけで充分なのだ。
 この時期、この街に渦巻いていたのは――結局のところ、嫉妬という言葉に集約されると思う。街の誰もが魔女ファールドに憧れながら、畏れ、妬み、憎んでいた。彼女が持つ無限の才能と、時間……。
 ナイトメアの魔女ファールドは、大破壊の頃から生き延びているという噂だった。百年ほど前からこの街に居を定め、怪しい研究を続けながらも、時にその魔法でもって蛮族を退けたりして、次第に街の中枢に食い込んで行ったという。街は彼女を始めとする魔術師たちによって護られ、やがて守りの剣を必要としないまでになった……というより、職業柄邪魔だったから取り払ったんだろうけど。結果、このちょっと歪んだ街には、穢れをあまり忌避しない風潮が生まれ、操霊術師とナイトメアの小さな楽園として、割と繁栄してきたってわけだ。
 でも、歪みはどこかで必ず反発を起こす。彼女が永遠に変わらなくたって、周りは変わる。穢れは気にならなくても、目の前にいる不変の存在は、どうしたって気になる。
 エルフだって数百年は生きる。でも、彼らは総じてのんびり屋が多い。ドゥエルを見ていても思ったけど、人間より賢く寿命が長いと言ったって、そこまで違う存在だとは思えないところがある。魔女ファールドを目にした時の、息が詰まるような感じは、他に類がない。
 ファールドは、おそらく、人間と同じ時間間隔を持ちながら、人間には決して届かない長い歳月を重ねている。そして、その外見はいつまでも若く美しいまま……
 ……魔術師なんて、特に研究肌のタイプは、競争相手には強い敵意を持つものだ。寿命の短い人間やタビットと、ファールドを始めとするナイトメアたちが、互いに勢力を保って共存していたこの街では、ことに水面下でのそれが激しかったのかもしれない。多少偏見が入ってるのは認める。
 まあ、つまり。とっくに下地は出来ていたんだ。誰かが火種を投じれば、簡単に燃えあがるほどに。でも、そんな不穏な空気に、当時の僕は全く気付いていなかった。
 結局、幸せだったんだと思う。



 ティルスティアル郊外、丘の中腹に置かれていた、ファールドの研究所の一つ。
 踏み込もうとする僕たちの応対に出たのは、なんとリードだった。
ティルスティアル市民自警団の者です。こちらの研究所を、調査させて頂きます」
 僕たちの一隊の隊長が、リードに来意を告げる。
「また、突然だね。何かあったのかい?」
「匿名の通報がありました、としかお答えできません。団長からの捜査指令書がこちらに。キルヒア神殿から発行された調査委任状も受け取っております」
 書類をつきつけられると、リードはそれを眇めに見て、肩をすくめた。
「……ふぅん。まぁ、見たいなら見ていったらいいさ。面白いものはないと思うけどね」
 今思えば単なる茶番だ。でも、僕は結構緊張していた。下手したら実戦があるかもと思ってたし。
「全体、四人一組。一人が探索、残り三人は見張りを!」
 隊長の指示の下、自警団は研究所内に突入した。探し物の苦手な僕は、当然見張り組だ。研究所の入口で、周囲を警戒する。
「やれやれ。ご苦労様だね?」
 言いながらリードは僕たちにちらりと視線を送り――僕は急いで顔を伏せたが、一瞬、目が合ってしまった。
「……あれ」
 姉上と容姿が似ていて、得をした試しがない。
「君は、もしかして」
 リードが近づいて来て、小声で僕に話しかけた。あんまり返事はしたくなかったが、そういう訳にもいかないだろう。
「……自警団員の、アーニティ・ルールシェンク、です」
 仕事中なんですけどという顔をして、微妙に目を合わせないようにしながら、ぼそぼそと名乗った。
「……ああ、やっぱり。話は聞いてるよ」
 どういう話をしてたかは、心から聞きたくない。
「でも……参ったな」
 リードは、苦笑した。
「レンデの弟がいるんだったら、もう少しやり方を変えたんだけどね……」
 ――すぐには意味がわからなかった。
「まぁ、今回はしょうがない。ここには、そんなに危険はないよ。……ちょっと、精神には来るかもしれないけど」
 無論、彼が、ファールドのやっていた事を、知らないはずはないとは思っていた。
 けれど、それにしても、彼の反応は少しおかしい。
 慌てるでもなく、怯えるでもなく。まるで――
「……少しだけ、頑張ってもらうよ。アーニティ君」
 ――戦慄が走った。
 姉がタイミング良くファールドの傍から離れたのは何故か。表に出せない研究を行っている場所に、自警団がこうも容易く立ち入れたのは何故か。
 さっきから、リードが何を言っているのか。
 ――僕は、この時初めて、気付いたのだ。
 この事件の裏に潜んでいた、確かな悪意、に。
「……リード、さん」
 リードは、母親そっくりのその顔を、ぐにゃりと歪めて、笑った。
「さぁ……始まりだ」
 長いローブを翻して、リード――ティルスティアルをひっくり返そうとしている張本人――は、眼下に広がる夜明けの街を、包み込むように腕を広げた。
「この街の、革命の、ね――」


(続く)