転がる賽子のように(3)

 その日、起こった事件について、僕が知っているのは断片だけだ。
 ……やばい研究の証拠は割と簡単に集まった。そうなるように用意してあったんだから当然。研究所で見た物については思い出したくない。
「驚いたな、母がこんなことをしていたなんて」
 リードは白々しくもそう言ってのけた。僕以外の現場の人間も、幾人かは彼の内応に気付いてたと思う。と言って、彼を責められるわけもない。ファールドがやっていたことは、常識で言って、間違いなく悪事だったのだから。
 後に公に発表されたところによれば、彼女が究極的に目指していたのは、"神殺し"――だそうだ。そのために、人族の力を限界まで引き出す……と言えばまだ聞こえはいいが、やっていたことは人体実験。不死を与えてみたり(つまるところアンデッド化だ)、ゴーレムと合成してみたり、他の生き物と合成してみたり。まあ、細かい内容についてはそれほど知らないし、知ってしまったこともできれば脳内から消去したい。
 残された実験成果を集めて研究所から出た時には、自警団のみんな一様に顔が青くなっていた。
「……なあ、アーニティ」
 呟くように、ドゥエルが言う。
「これで、後は神官戦士団がファールドを討伐して……それで終わると思うか?」
「……」
 僕には答えられなかった。
 それで終わるわけがない、なんて、言えるわけないじゃないか。



 ファールド本人との対決には、僕自身は関わってないが、部外者の立場から言えば、まあ、ましな結果だったと思う。
 神官戦士団に、二、三人死者が出た。正規軍の中にも、酷い怪我を負ったものがいたという。ファールド自身の魔法と、彼女の造ったゴーレム達は、あまりにも強力だった、らしい。ファールドは逃げ延び、姿を消した。命こそ保ったものの、もう二度とこの街には戻れないだろう。
 そして――後には、大きな傷跡が残された。
 それから数カ月の間のティルスティアルの混乱ぶりといったら酷かった。一般市民の僕ですら、色々ありすぎて記憶が曖昧になってるほどだ。なんせ、事実上のトップだった者が居なくなったわけだから。そして、このクーデターの性質の悪いところは、その首謀者に、上に取って変わる気が全くなかったところだ。
 リードは何度か、市長という形で起って欲しいと推されたらしいが、いつも固辞した。調停者を失った街は、大混乱に陥った。蛮族の侵攻の噂が大なり小なりしょっちゅう流れて、守りの剣を設置するかどうかで揉めて、神殿と魔術師ギルドの間に深刻な対立が起こったり。断言するけど、リードは絶対そんな混乱を面白がってたと思う。
 彼が結局のところ何をしたかったのか、今でもよくわからない。あれで姉については本気らしいから尚更。まあ、あっさり言えば、単なる親子ゲンカなんだとは思う。巻き込まれた方から言えば、はた迷惑もいいところだが。
 リードが一連の計画の言いだしっぺであったことは確かなようだ。彼は秘かに、街の有力者の中から、ファールドに反感を持つ者に接触し、協力を得ながら、口実を作り上げていった。いくら下地があったからって、街一つひっくり返したんだから、半端じゃない。死んでも尊敬はしないけど。
 まあ、リードに文句を言っても色々としょうがない。でも一言だけ言いたい。あんな大ごと起こすなら、せめて夏場は避けてほしかった。



「あー、きっつー」
 ドゥエルは、片手で鼻をつまみながら、もう片手をばたばたさせて、そうぼやいた。
「いいから探せよ、何か身元のわかるもの」
 この時期、僕たちがやっていたのは、主に残された研究所の調査。調査というか掃除というか。危険こそ少なかったが、手入れせずに放置されたアンデッドを倒した上で身元調査とかもう二度とやりたくない。
「うわ……何年経ってるよ、これ」
 言いながら、ドゥエルは動かなくなった死体の着ているシャツをつまみあげた。べりべりと嫌な音がする。
「そんなに経ってないだろ。骨になってないし」
 僕がそう言うと、ドゥエルは実に微妙な顔をした。
「お前、たまにドライだよな……」
「どうせ仕事はしなきゃいけないんだから、深く考えずにさっさと終わらせた方がいいだろ。……あ、こっちの奴、指輪してる」
 こういうのはいい手がかりになる。指から引きはがして、文字でも刻まれてないかと確認していたら、ドゥエルはうんざりした顔で立ち上がって、そっぽを向いた。
「あーあー。有能だよ、お前は」
「お世辞はいいから、そっちも探せって」
「別に褒めてねーよ」
「わかってるよ」
 ……しばらく、沈黙が流れた。
 酷い臭いのせいか、頭がぐらぐらしていた。
「……お前さ」
 やがて、ドゥエルが口を開いた。
「何か、悩んでるだろ」
 ……勘の鋭い奴って、これだから嫌だ。
「どーしてそんな話になるんだよ」
「……俺に言わなくてもいいけどさ」
 そう言って、ドゥエルは僕に背を向けたまま、腕を頭の後ろで組む。
 僕が黙ったままでいると、やがて、ドゥエルはちらりと振り返って言った。
「……姉上さんには、話しといた方が、いいんじゃねーの?」
 これだから嫌だ。
「……だって」
 僕は、指輪を床に置いて、立ち上がった。
「……言いようがないんだよ」
 姉のいない間に、大事件が起こって、僕は姉の師の追放に関与することになった。確かに、その辺り、一度姉に会ってきちんと話しておくのが筋だったかもしれない。ドゥエルの知らないこと――リードのことさえなければ。
 二人の関係に関して言えば、僕だって結局は部外者だ。何をどう言えばいいのか、わからなかった。姉が計画を事前に知っていたとしても、知らなかったとしても。
「うまく言えなくてもさ……なんか、あるだろ」
 ドゥエルの言いたいことはわかる。わかるけど。
「……人ごとだと思って」僕はドゥエルから顔を背けると、再び横たわる死体の荷物漁りを始めた。
「人ごとだけどさ。お前、しばらく家に帰ってもいねーだろ」
 元々、姉はファールドの私邸に住み込んでいたから、状況が変わってからは、実家に戻ったままでいるはずだ。
「仕方ないだろ、そんなヒマないし」嘘じゃないけど、言い訳だ。
「それってさ……」
 ドゥエルは、僕の前に回り込んで、顔を覗き込んできた。
「逃げてるんだろ、姉上さんから」
 ……どうして、こう、他人事に関わって、核心に突っ込んでくるんだろう。
 これだから、親友って嫌だ。
「……そうだよ」
 僕はそう、返事した。
「今は、あねう……姉には絶対に会いたくない」下を向いたまま、答える。
「どーしてさ?」ドゥエルは、呆れたように溜め息をついた。
「……。ドゥエルは姉の事知らないから」
「お前が話さないからだろ。何、仲悪いの?」
「別に悪いわけじゃない。あんまり関わりたくないだけだよ」
「それ、仲悪いって言わねえ?」
「嫌いなわけじゃない。苦手なだけだ」
 嘘じゃない。今でも、姉上のことは、ただ苦手なだけだ。義兄のことは、はっきり大嫌いだが。
「いや、まあ、わかるけどなー? 俺だって弟とか苦手だし」
 ドゥエルの弟は、ドゥエルと違って人間だと前に聞いた。家族で種族が違うと色々あるんだろう。うちもそれとあんまり変わらないと思う。
「……とにかく、いいんだよ、姉上のことは。どうせ、僕が何を言ったって……」
 なんだか泣けてきた。暑さと臭いのせいだったと思う。
 僕は急いでドゥエルから顔を背けると、再び作業に没頭した。ドゥエルも、それ以上何も言わなかった。



 姉のファールドに対する憧れは……何と言ったらいいんだろう。まあ、元を辿れば両親が悪いんだろうけど、両親はどちらも基本的に困った人だけど悪気はないので、あんまり責めるのも悪いと思う。
 まあ……聞いた限りで言えば、父が若い頃、世にも美しい人に出会って魔術師を目指した。母が若い頃、世にも知恵深い人に出会って魔動機術を磨いた。その人の縁で二人は出会って結婚し、ただその人への純粋な憧れと感謝を抱いたまま、娘にその名を渡した……だいたいこんな事情だったらしい。
 そんな経緯が姉にどういう影響を与えたのかは、想像するよりないのだが……多分、どこかで、姉の中の、ファールドへの憧れと、反発……というか姉自身の自意識が、折り合いをつけようとして、双方とも変な方向にかっ飛んだんだと思う。
 姉はファールドに憧れていた。ただ、同時にこうも言っていた。
『いつか私はあのひとになる。あのひとの全てを奪って、あのひとの代わりにあのひとになるの』
 正直、意味がわからない。
 姉上はそんな人だ。僕が姉上にできることなんてあまりないし、姉上だって僕に頼りはしない。ドゥエルに色々言われてからも、やっぱり実家には触れずにいた。……こればっかりは後で考えても正解だったと思う。この時期に姉の身に何が起こっていたか知らされていたら、多分こっちが許容量オーバーしていた。
 ……でも、それでも、会うべきだったのかもしれない、本当は。
 何もできなくても、何も言えなくても。



「あー、久しぶりだぜ、シャバの空気」
 アンデッドまみれの地下研究所から出ると、ドゥエルはそう言って大きく伸びをした。
「まだ終わってない。……行方不明者リストと照合して、一致したら遺族に説明しに行かないと」
「わーってるよ。明日でいいだろ明日で」
 ドゥエルが後ろ手をひらひらと振る。
 だいぶ陽が落ちてきていた。暑さも少しは和らいで、風の匂いが心地よい。
「……お、もう月が出てる」
 ドゥエルが空を指差した。爪の先のような月が出ている。
「暗くなる前に戻るぞ。僕はお前と違って、夜は見えないんだから」
「大丈夫大丈夫、手ェ引いてやるから」
「断る!」
 言って、僕は早足で歩き始めた。
「まあ、待てよ。もうちょっと、ゆっくり行こうぜ」
 こいつは基本的にのんびり屋でお調子者だ。僕とは正反対の性格だと思う。姉上とはまた違う意味で。
 それでも気が合ったのは……なんでだろう。
「お。……聞こえるか?」
 結局、ゆっくり歩きながら街へ戻っている途中、ドゥエルが言った。神殿の鐘楼の鐘が鳴り始めていた。
「いくら僕でも聞こえるよ」
 からんからんからん。一、二、三、四、五……
「あー……。なんか、こう、ホっとするよな、この時間」
「勤務時間が終わるから?」
「それもあるけどよ」
 ドゥエルは、その先は黙ってしまった。
 西の空にわずかに残る夕陽の光と、三日月と夕星のかすかな光が、街のシルエットを黒く浮かびあがらせていた。



 街を離れた今になって思う。僕は、あの街が好きだったんだろうか。
 自警団に入ったのは、ただ、姉上と正反対のことがしたかったからってだけで。もっと実力がついて、お金も貯まったら、もっと大きな街に行きたいと思っていた。
 街を守りたいとか、そういう立派な意思があったわけじゃない。そうだったはずだ。
 ――学術都市ティルスティアル。魔術師や学者たちが知識を競い合う中で発展していった街。穢れすら忌避しない自由の街。欲望と嫉妬の渦巻く陰謀の街。僕の故郷。
 僕の性には合わなかった。好きなんかじゃなかった。……でも、懐かしいとは思う。
 人生で一番楽しかった時期の、思い出と共に。



(続く)