転がる賽子のように(5・終)

 あの時、ファールドが何をしに来ていたのかは、わからない。ほとぼりが冷めたところを狙って、何か貴重なアイテムでも取り戻しに来たんじゃないかとは思うが……まあ、僕にはどうでもいいことだ。
 自警団員たちの死は、街に渦巻く日々の混乱の中の、一つの事件として、あっという間に埋もれていった。
 僕が負った怪我は、すぐに治療を受けたこともあって、さほど長引きもしなかったが、団長や治療士さんにも勧められて、一度実家に戻って静養することになった。
 多分、傍目に見ても、結構僕の動揺が激しかったんだと思う。
 まあ、本当の所、姉上のいる場所で静養も何もあったもんじゃないけど、その方が気が紛れるかもしれないと……思っていたのだが。
 でも、ある意味、知るタイミングとしては一番よかったのかもしれない。
 ――正直、あんまり驚かなかったような憶えがある。驚くとか呆れるとか怒るとか、そういう次元を超えていた。
 こっちがそれどころじゃなかったのもあるが……実のところ、多少リードに対する引け目もあった。あの時、どうやら命を助けられたらしいというのもあったし、それに――僕は引き金を引いた。それが自分の身を守るためだとしても、強さに天と地以上の差があったとしても、そもそもファールドを追われる立場に陥れたのが彼だったとしても、僕が彼の母親を撃ったのは確かだった。当たったのかすら確認できていないけれど。(ちなみに、このこと後で義兄上にうっかり話したら、大笑いされた。ああ苦々しい)
 まあ、家族みんな、何となく遠慮があった。父なんて未だにリードに対して敬語で話す。何だかんだ言って、両親も姉も、彼の母親には恩がある。どう対応していいかこっちが迷ってるうちに、あっちが迷わず入り込んできたから、何だかんだでみんな受け入れてしまった。まあ、僕について言えば、姉上の問題なんだからどうでもいいって思ってたのもある。
 今でもそうだけど、二人の関係はよく理解できないというか、しようとも思わない。
 だから、何というか、怒りようがなかった。二人の問題なんだから、勝手にすればいいと思った。
 そういう意味では、やっぱり怒ってたのかもしれない。



 結局、ずいぶん休んでしまった。まあ、姉上のことできりきり舞いしてたから、まったく休養にならなかったが。
 リヴァが生まれた時のことは、今思い出しても、妙な冷や汗が出る。姉上が死にかけているのを見たのなんてあれが最初で最後だ。二度とないことを祈りたい。さすがに心臓に悪い。むしろ僕の寿命が削られた気がする。
 最初にリヴァを見た時は、なんだか……それが当然のように思った。ナイトメアに憧れた姉と、ナイトメアに反抗したリード。二人の冥い情熱が結びついて生まれた子がこの子なら、それも当然のことなんだと。
 でも、それもこれも、リヴァには関係のないことだ。親の因縁と関わりなく、あの子が幸せに生きてくれることを、心から望む。
 そのために、僕に何ができるのかは、わからないけれど。



 春も近くなった頃、やっと僕は自警団に復帰した。周りの顔ぶれも随分違ってしまって、あまり馴染めなくなってしまった。もともと僕は友人の多い方じゃない。ドゥエルがいたから、ドゥエルを通して他の団員たちとも付き合っていた。ドゥエルがいなくなった今、周りはみんな――元からの知り合いですら、全くの他人のように思えてならなかった。
 日々は味気なくなった。でも、仕事はしていた。長期に休んだからってそれほど仕事が溜まってなかったあたりが下っ端のいいところだ。それまでやっていたように、銃撃の訓練をしたり、街の見回りに出たり、怪しげな研究をしている魔術師がいれば監査に入ったり。
 街は随分落ち着きを取り戻しているようだった。国王の直轄領になるとか、色々噂は流れていたが、まあ無理だろう。この街は結局、自由であることを望む。国からも、神殿からも、倫理からも、そしてナイトメアからも。
 とはいえ、どういう綱引きがあったんだか、ファールド追討に関わった自警団員たちが、突然、国王から表彰されることになった。僕も含めて。
 ファールドと直接対峙した自警団員の唯一の生き残り――そんなこと言われたって、僕はただ襲われて、なすすべもなく倒れ、でもなぜか生き残った、それだけのことなのだが。
 まあ、もらって困るものでもないので、表彰は受けた。勲章をもらった。どういう意味の勲章なのかはよく知らない。今は、実家で僕が使っていた部屋の、机の引き出しにしまいっぱなしになっている。
 そんなことも、他の色々なことも、なんだか現実感のないまま、また数カ月が過ぎた。





 ――この時起こったある出来事は、僕の一生の秘密だ。
 姉上にも、義兄上にも、誰にも触らせない、僕一人だけが背負う出来事だ。



 その夜、夜勤に当たった僕は、一人で街を見回っていた。
 本当は、こういうのは最低二人一組でやるのだが……ドゥエルたちの件があって以来、新規団員が少なくなっていたし、みんな忙しくしていて、人出不足は常だった。まあ、夜勤の場合、非番の友人に頼んで一緒に見回りに行ったりすることもあるのだが(ドゥエルがいた頃はこれでいつも僕まで夜勤に駆り出されていた)、この時期の僕にはそんな友人もいなかった。むしろ、僕の方から一人になりたがってた部分もある。
 夜の街。賑わう酒場の前を通り過ぎ、人気のない道を見て回る。事件なんてそうそう起こるものじゃない。見回りなんて、夜の散歩のようなものだ。風が心地よい。ランタンの油の匂いが、色々なことを思い起こさせる。いつかドゥエルと二人で歩いた道を、今は一人で歩いている。時々、泣きたくなったりして、こんなセンチメンタルなことをしている自分がおかしくなったりもする。
 遠くからバイクの音が聞こえた。誰が乗っているのか知らないけれど、こんな夜に走るのは、きっと気持ちがいいだろう。街中では迷惑だけど、深夜じゃないからまあ許す。
「バイクも、いいかもしれないな……」
 そんなことを呟いてみた。話相手がいないから、独り言になるのはしょうがない。
 最近、乗馬の練習は始めていた。そのうち、馬やバイクに乗って銃が撃てるようになったらかっこいいかもしれない。そんなことを、ドゥエルに言っても、姉上に言っても、笑われるんだろうけど。
 でも、ドゥエルは死に、姉上はリヴァにかかりきりだ。
 ……なんだか突然、わかった気がした。
 寂しいんだ、僕は。
 また目頭が熱くなってきた。馬鹿みたいだ。ドゥエルたちの事があってから、僕はどれくらい泣いただろう。
 ……背後で、足音が聞こえた気がした。
 僕は急いで涙を拭った。こんなところ、絶対人には見せられない。
 後ろの人が通り過ぎて行ってしまうのを待とうとしたが……なんだか突然、ひどく、嫌な感覚に襲われた。
 僕は、後ろを振り向いた。
 そこにいたのは――
「……おい」
 声をかけても、返事はない。
「おい……嘘だろ?」
 そこにいたのは――だんだん僕に近づいて来ている、その人影は――――
 生前と変わらない姿。生前と変わらない……いや、ドゥエルのこんな顔は見た事がない。生気を失った瞳。弛んだ口元の表情が、やけに悲しそうに見えた。
 それでいて、動きは止まらない。ふらつきながら、近づいてくる。
 振り上げたダガーは、確かに……彼が生前、投擲用に持っていたもので……
 ――ああ、そうか。ファールドは。
 ダガーが飛んできて、僕の右腕に刺さった。不思議なくらい、痛みを感じなかった。手にしていたランタンが、地面に落ちて割れた。
 また備品壊したから始末書書かなきゃ――怪我は治療してもらわないと――神官さんに癒してもらうにも、書面提出しないと費用が出ない、面倒だな――ぼんやり、そんなことを考えながら――左手は、ひとりでに動いて、ホルスターから拳銃を抜いていた。
 月の光に、ドゥエルの影が浮かび上がる。影は、二本目のダガーを振り上げようとしている。



 ――よく、狙って。
 しっかり、マナを込めて。
 撃つんだ。一、二、三――



 僕の一歩前で、彼は倒れた。
 彼を抱き起して、その顔をもう一度見る勇気は、僕にはなかった。





 全てを忘れ去ったように、時は進んでいく。
 僕の怪我はやっぱり大したことはなくて、結局自分で治癒の弾丸で治した。痕も残っていない。
 あの夜、あの後、自分がどうしたのか憶えていない。ドゥエルは翌朝、他の自警団員に発見された。自分が彼に遭ったことは、誰にも言わなかった。
 アンデッドの射殺体くらい、この街では珍しくもない。
 聞いた話では、この時期、ドゥエルの他にも、あの時ファールドに殺された仲間たちが、街中や外壁の周りを歩きまわっていたらしい。
 結局、一人ひとり、倒されていって……遺体と遺品は遺族に返却された。遺体の状態は、みんな、それほど悪くなかったそうだ。多少なりとも、救いだと思う。
 ファールドが何を目的にしていたのかは、やっぱりわからない。別に、どうでもいい。
 なんだか、全てがどうでもよくなっていた。
 自警団の仕事は相変わらず続けていたが、ここで僕がすることは、もう残っていないような気がしていた。



 リヴァはだんだん大きくなって、姉上は――
 幸せなんだと思っていた。いや、多分、本当に幸せだったんだろう。
 だから、姉上は、この日常に溺れるのを恐れた。かつての夢を忘れることを恐れた。
 だから、姉上は出て行った。
 義兄上は、いつも通り笑っているだけだった。そういう人だ。



 そして、僕は――



 数日前から用意しておいた、旅行用の背負い袋を肩から下げて。
 自分で買った蛇紋式銃を、ホルスターに収める。
 ガンベルトを身につけ、遠出用のブーツを履いて、マントを羽織る。
 家族が寝静まった夜中。こっそりとドアを開けて、家を出た。
 バイクでも造って走れたなら、もっと気分のいい出発だったかもしれない。
 ふと夜明けの空を見ると、薄れかけた細い月が、なんだかやたらと綺麗に見えた。




(終)